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岡山地方裁判所 昭和60年(ワ)553号 判決

原告

田尻和秋

被告

藤原正弘

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一六〇二万六八円及びこれに対する昭和五八年六月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨の判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、次の交通事故により傷害を受けた。

(一) 日時 昭和五八年六月一二日午後三時五五分ころ

(二) 場所 岡山県倉敷市中央二丁目二〇番先交差点

(三) 態様 原告が普通乗用自動車(以下、原告車という。)を運転し、右交差点で信号待ちをしていたところ、被告運転の普通乗用自動車(以下、被告車という。)に追突された。

2  責任

被告は、加害車両を保有し、当時運行の用に供していたもので、自賠法三条の運行供用者責任がある。

3  原告の傷害

(一) 傷病名

頸部捻挫

(二) 治療期間

昭和五八年六月一二日、一三日の二日間通院治療を受け、同月一五日から同年九月一〇日まで倉敷中央病院に入院し、同年九月一一日から昭和六〇年六月二九日まで同病院で通院治療を受けた。

(三) 後遺症

昭和五九年五月九日症状固定とされ、後遺症として、頸部運動障害、肩関節機能障害等の診断を受けた。

4  損害

(一) 治療費 二一二万二一〇三円

原告は、昭和五八年六月一五日から同年九月一〇日まで八八日間倉敷中央病院に入院し、同年九月一一日から昭和六〇年六月二九日まで(実治療日数五〇八日)右病院で通院治療を受けたが、その間の治療費として二一二万二一〇三円を要した。

(二) 入院付添費 三〇万八〇〇〇円

原告が倉敷中央病院に入院中、妻が付添看護にあたつたので、その入院期間八八日の付添看護費を一日三五〇〇円として算出した。

(三) 入院雑費 七万四〇〇円

右入院期間中の入院雑費を一日八〇〇円として算出した。

(四) 通院交通費 一七万三〇円

原告は、倉敷中央病院での通院治療期間中、別表記載のとおり通院交通費を支出した。

(五) 休業損害 一七三万四三〇九円

原告は、本件事故当時、倉敷市連島町鶴新田二四二八番地の一所在の訴外大竹工業株式会社に在籍していたが、頸椎骨軟骨症のため、昭和五八年一月から休業中であつた。しかし、本件事故当時は右病気も快癒し、本件事故の翌日である昭和五八年六月一三日からは出勤予定であつた。しかるに、本件事故のため、少なくとも症状固定日である昭和五九年五月九日まで休業を余儀なくされた。なお、原告の休業前三か月間の平均給与は月額一七万一二一七円であつた。また、原告は訴外大竹工業株式会社との間で、昭和五八年九月一日付をもつて原告を嘱託扱いとし、給与月額一五万五五〇〇円とする旨の契約を締結していた。したがつて、原告の休業損害は次のとおりである。

(1) 昭和五八年六月一三日から同年八月三一日まで 四四万五一六四円

(2) 昭和五八年九月一日から昭和五九年五月九日まで 一二八万九一四五円

合計 一七三万四三〇九円

(六) 後遺症による逸失利益 一〇一四万七一六〇円

原告は、昭和五九年五月九日症状固定と診断されたが、右固定時において原告は満五五歳であるから、就労可能年数は一三年、右固定時の給与は月額一五万五五〇〇円、賞与は年二回で、一回につき本給月額一〇万七五〇〇円の二か月分の支給を受けることができたところ、原告の後遺症は八級に該当し、その労働能力喪失率は四五パーセント、その喪失期間は一三年と考えるのが相当であるから、これにより逸失利益を算定すると一〇一四万七一六〇円となる。

(155,500×12+10,7500×4)×0.45×9.8211=10,147,160円)

(七) 慰藉料 五〇〇万円

原告は、本件事故により、頸部運動障害、肩関節の機能障害知覚障害などの後遺症を残し、両手のしびれのため手を切つても痛みを感じず、湯を張つた洗面器を持ち上げても頸部に激痛が走り、症状固定後も通院して痛みどめの注射を射つてもらつているが、注射が切れると、頭痛、頸部痛、肩痛、両上腕痛がひどく、睡眠にも支障を来し、毎夜睡眠薬を服用している状態であり、本件事故によつて多大の精神的苦痛を受けた。よつて、症状固定前の入通院の程度も考慮のうえ、慰藉料として五〇〇万円が相当である。

5  損益相殺 四九八万八三〇四円

原告は、昭和六〇年六月二九日までに健康保険から二九二万三七七〇円(傷病手当金八六万八四三四円を含む。)訴外安田火災海上保険株式会社(任意保険)から二〇六万四五三四円(合計四九八万八三〇四円)の支払を受けた。

6  弁護士費用 一四五万六三七〇円

前記4の各損害金合計一九五五万一〇〇一円から前記の四九八万八三〇四円を控除した一四五六万三六九円の一割が相当である。

7  よつて、原告は被告に対し、本件交通事故に基づく損害賠償として一六〇二万六八円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年六月一二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因に対する認否

(一) 請求原因1、3の(一)の各事実は認める。

(二) 同2の事実のうち、被告が加害車両を保有し、本件事故当時運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。

(三) 同3の(二)の事実のうち、原告が昭和五八年六月一五日から同年九月一〇日まで倉敷中央病院に入院したこと、同年九月一一日から昭和五九年五月九日まで右病院で通院治療を受けたことは認めるが、その余の事実は不知。

(四) 同3の(三)、4の(一)、(二)、(六)、(七)の各事実は否認する。

(五) 同4の(三)、(四)、6の各事実は不知。

(六) 同4の(五)の事実のうち、原告が本件事故当時、頸椎骨軟骨症のため休業中であつたことは認めるが、損害額については否認し、その余の事実は不知。

(七) 同5の事実のうち、訴外安田火災海上保険株式会社(任意保険)から原告に二〇六万二五三四円が支払われたことは認めるが、その余の事実は不知。

(八) 同7は争う。

2  被告の主張

(一) 原告は本件事故で前記のとおり訴外安田火災海上保険株式会社から二〇六万二五三四円の支払を受けたほか、次のとおりの支払を受けている。

(1) 被告は、倉敷社会保険事務所から本件事故で原告が受けた健康保険療養の求償請求を受け、訴外安田火災海上保険株式会社を通じて同事務所に一二六万九八六〇円を支払つた。

(2) 原告は、自賠法一六条に基づき訴外住友海上火災保険株式会社に対し後遺症に関する被害者請求を行い、昭和六〇年八月五日右会社から後遺障害等級表第一四級第一〇号該当の保険金七五万円の支払を受けた。

(二) 一般に、頭頸部の損傷が発生するためには、頸部の過伸展また過屈曲があつたことが必要であり、その損傷の程度は加えられた衝撃にある程度比例するといわれている。これを本件事故についてみると、本件当時、事故発生場所付近で車両の三重衝突があり、そのため警察による現場検証が実施されていたことから、通行車両が渋滞し、十数台の車両が数珠つなぎの状態で徐行しており、その最後尾付近を徐行していた原告運転の普通乗用自動車が停止したところに、同車に追従して徐行していた被告運転の普通乗用自動車が追突したものである。したがつて、追突時における被告車の速度は低速であつた。また、本件事故によつて原告車が受けた破損の程度は、修理工賃を含めた修理代金が八万四二八〇円にすぎず、その内でも部品価格はわずか三万七六八〇円と低額であり、この事実と被告車の前記速度とを合せ考えると、本件追突による原告の頸部に対する衝撃は比較的軽度であつたものである。

さらに、本件事故当時、原告車には運転をしていた原告のほかに、助手席に訴外高橋弘忍(満七〇歳)、後部座席に訴外高橋稲美子(満六五歳)、訴外田尻克子(満四五歳)、訴外原早苗(満五一歳)の四名が同乗していたが、右各同乗者の受傷の程度は、以下のとおり、いずれも極めて軽微な傷害にとどまつており、右各同乗者との対比からも、原告だけがその主張するような重い傷害を受けたものとは考えられない。すなわち、訴外高橋弘忍については、昭和五八年六月一六日に山陰労災病院整形外科で外傷性頸部症候群との診断を受け、同年七月四日までの間に三回の通院治療を受け、同年八月一〇日治癒した。訴外高橋稲美子については、同年六月一二日(本件事故日)に山陰労災病院整形外科で外傷性頸部症候群との診断を受け、同年七月六日までの間に四回の通院治療を受け、同年八月一〇日治癒見込みとなつた。訴外田尻克子については、同年六月二三日に倉敷中央病院で頸椎捻挫により同月一三日から三日間の安静加療との診断を受けたが、現実には医師の治療を受けるまでには至らなかつた。訴外原早苗については、医師の治療を受ける必要がなかつた。

また、本件追突事故は、前記各同乗者にとつては、不意打ちの事故であつたが、とくに原告は、本件事故直前に原告車のルームミラーで被告車の追突を予知し、ブレーキを踏んで追突に身構えていたのである。一般に、追突を予知できた者とそうでない者との間では、いわゆるむち打ち損傷の発症の割合は大きく異なり、またブレーキを踏み全身の筋肉を高めて追突に備えたものは、むち打ち損傷の発症は非常に少ないといわれている。すなわち、危険を予知すると頸部の筋肉が緊張状態となり、追突時に受ける頸部の伸展、屈曲を筋肉の力で減殺できるが、全く危険を予知していない場合は筋肉が弛緩しているため、靱帯のみに過大な力が加わり損傷が起こりやすくなるとされているのである。したがつて、原告が本件受傷時に、頸部に前記各同乗者以上の強度の過伸展、過屈曲を強いられる外力を受けたとは到底考えられない。

以上によれば、原告の受傷の程度が前記各同乗者のそれを上回ることは客観的にも経験則上も予想し難い。現に、原告は昭和五八年六月一七日に倉敷中央病院の漆谷医師から、約四週間の加療を要する頸部捻挫との診断を受けているし、医師である証人岡本和夫も、初診時における原告の治療期間は三週間位を考えていた旨証言している。追突による衝撃が各人の頸部に与える影響の度合が多様であることは否定できないが、一般に、軽度のむち打ち症では、入院安静を要するとしても長期間にわたる必要はなく(数日以内、長くとも一〇日間位)、以後は多少の自覚症状があつても、日常生活に復帰させたうえ適切な治療を施せば、ほとんど一か月以内(長くとも二、三か月以内)に通常の生活に戻れるのが一般であるとされていることからすれば、原告の場合には、いかに遅くとも昭和五八年九月末までには治癒していたのであり、同日以後の症状、治療は本件事故と相当因果関係がないものである。

(三) 原告には頸椎骨軟骨症の既往症があるが、右既往症は本件事故が誘発したものではなく、本件事故以前に既に発現し、昭和五八年二月一五日には倉敷中央病院で頸椎骨軟骨症と診断され、同日から本件事故前日まで連日のように頸椎垂直牽引、水治療を受けていたのであり、このような状態で本件事故による外傷が加わつたため、事故前の症状が増悪したおそれはある。このような場合、相当因果関係論からすれば、被告には右特殊事情についての予見可能性の存することを要するが、本件のような不慮の偶発的な交通事故のような場合には、被告には少なくとも具体的な予見可能性はなかつたものと言わざるを得ない。

また、損害の公平負担の見地からすれば、被告が責任を負うのは増悪した部分についてのみであり、その増悪部分以外については本件事故と相当因果関係がないと考えるべきである。原告については、既往症の頸椎骨軟骨症と頸部捻挫の各症状とは酷似し、症状として同一種類に属する本件においては、増悪部分とは頸部捻挫部分である。そしてこの頸部捻挫について前記岡本証人は、原告が倉敷中央病院を退院した昭和五八年九月一〇日ころにはほぼ治癒改善されていた旨証言している。そうすると、本件事故によつて原告に生じた頸部捻挫は、遅くとも昭和五八年九月末までには治癒し、そのころ原告の症状は本件事故前の症状に改善されていたのであつて、同日後の症状、治療はもつぱら頸椎骨軟骨症に関するものであり、本件事故とは何ら因果関係がない。病院としては原告に既往症の頸椎骨軟骨症が存するため、原告の訴えるまま長期間の通院加療を続けたにすぎず、これらを被告の責任とすることは公平の見地に反する。

(四) 原告は、後遺障害診断書(甲第一四、第一五号証)によれば、他覚症状として第五、第六頸椎椎間腔狭小化、生理的前弯消失、骨棘形成、頸部運動障害の制限が認められ、これらは自賠法施行令別表記載の第八級相当の後遺障害に該当する旨主張する。しかしながら、前述のとおり、本件事故と相当因果関係のある原告の傷害は、本件事故によつて新たに発現した頸部捻挫であり、しかもこれは遅くとも昭和五八年九月末までには治癒している。したがつて、仮に同日後に原告に何らかの症状があつたとしても、それらは本件事故前の既往症である頸椎骨軟骨症に基づくものであつて、本件事故とは何ら因果関係のないものであるから、本件事故に起因する後遺障害は存在しない。

後遺障害診断書(甲第一四、第一五号証)の「他覚症状及び検査結果」欄には、頸椎エツクス線検査結果として、第五、第六頸椎椎間腔狭小化、生理的前弯消失、骨棘形成の所見が認められるが、右診断書を作成した岡本医師は、本件事故前の昭和五八年二月一五日に原告の頸部を撮影したエツクス線写真上で既に右と全く同じ他覚症状が認められ、ジヤクソン及びスパーリングテストも陽性であつて、同日に頸椎骨軟骨症の診断をしており、その他覚症状は本件事故による受傷後もエツクス線写真上に変化が認められなかつたことから、右診断書の他覚症状の所見は頸椎骨軟骨症による症状である旨証言している。また、右診断書の「事故との関連及び予後の所見」欄には、頸椎骨軟骨症の具体的発症形態ともいうべき五十肩(左)、胸部出口症候群の症状、所見と認めるが、事故との因果関係は不明であると明記している。すなわち、原告は昭和五八年二月一五日に倉敷中央病院で頸椎骨軟骨症と診断され、他覚所見としてはエツクス線写真上に前記の症状の所見がそれぞれ存在し、自覚症状としては首から肩にかけての疼痛、左上肢の疼痛、右上肢のしびれ感等の各症状が存在し、そのための治療として頸椎垂直牽引、水治療が入通院のうえ本件事故前日までほぼ毎日のように行われていたのである。したがつて、本件事故前に発現していた既往症の頸椎骨軟骨症の症状は本件事故当時においても決して鎮静化していたものではない。また、前記診断書には原告主張の頸部運動障害の記載が認められるが、この点についても前記岡本証人は、昭和五八年九月六日付カルテによれば頸部の運動制限はすでに改善されていた旨証言している。したがつて、仮に、右診断書が作成された昭和五九年五月九日の時点において、真に頸部の運動制限が存在していたとしても、それは既往症の頸椎骨軟骨症に基づくものであつて、本件事故に起因するものではない。

原告は、倉敷中央病院で昭和五九年五月九日に症状固定と診断されながら、その後も症状に何ら変化が認められないにもかかわらず、同病院で従前と同じ治療をほぼ連日のように繰り返してきたものであるが、これは右症状が心因的に相当増幅され自覚症状として発現しているものと考えざるを得ない。

三  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1  被告の主張に対する認否

被告の主張(一)の事実のうち、原告が訴外安田火災海上保険株式会社から二〇六万二五三四円の支払を受けたこと及び同(一)の(2)の事実は認めるが、その余の事実は不知。

2  原告の反論

(一) 後遺障害診断書(甲第一四、第一五号証)によれば、他覚症状として第五、六頸椎椎間腔狭小化、生理的前弯消失、骨棘形成が認められ、頸部運動障害として前屈四〇度、後屈一〇度、右屈一〇度、左屈一五度、右回旋二〇度、左回旋二〇度の制限が認められるから、原告には自賠法施行令別表の第八級相当の後遺障害が存在するものと認められる。右診断書(甲第一五号証)によれば、主訴として頸部運動制限は事故により出現したとあり、原告もその本人尋問において同趣旨の供述をしているほか、医師である証人岡本和夫も、頸椎骨軟骨症で頸、肩、腕の痛み、しびれで加療中であつたところに事故によつて頸部捻挫という外傷を受けたため本来の症状が増悪した旨証言していることなどからすると、本件事故と右後遺症との間に事実的因果関係が存在することは明らかである。

(二) さらに、本件事故と後遺症との間における相当因果関係の問題は、結局、寄与度の問題であるが、本件事故は右後遺症に対し、少くとも五割以上寄与しているものと認めるべきである。すなわち、原告は、頸椎骨軟骨症の既往症があり、昭和五八年三月一五日に入院し、同年四月二六日に退院して通院中の同年六月一二日に本件事故にあつたのであるが、本件事故当時、右頸椎骨軟骨症は軽快していた。とくに、頸部運動制限について、原告はその本人尋問において、入院して間もなく首が非常に重くなり、急激に首が完全に全方向に硬直してきた旨供述し、前記診断書(甲第一五号証)においても、主訴として頸部運動制限は本件事故により出現したとの記載がある。また、本件事故前の診療録にはほとんど頸部運動制限についての記載がないのに対し、事故後の診療録である六月一七日の記載(甲第七〇号証の四五)をみると、「頸部運動、全方向に制限」とあり、このことからも本件後遺症の一つである頸部運動制限が本件事故後に広範囲かつ強度に発現してきた事実が認められる。

被告は、頸部捻挫は遅くとも本件事故日から三か月後の昭和五八年九月末ころまでには完治したと主張するが、同年一〇月以降の診断書(甲第四ないし第一二号証)にも頸部捻挫の傷病名の記載があるのであつて、頸部捻挫が治癒していないことは明らかである。

さらに、被告は、発症全例中、運転手がバツクミラーで追突を予知できた者は、そうでないものと比較して発症の割合が大きく異なり、またブレーキを踏み全身の緊張を高めて、追突に身構えた者はむち打ち傷の発症が非常に少ない旨主張する。しかし、仮に追突直前に身構えた事実があつたとしても、追突によつてむち打ち傷が発症するか否か、また発症した場合の程度如何は追突車の追突時の速度、追突車と被追突車の大小、構造の相違などによる衝撃の差異によつても大きく影響されるのであるから、右主張が直ちにあらゆる場合にあてはまるわけではない。

第三証拠

本件記録中の証拠目録記載のとおり。

理由

一  交通事故の発生

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  責任

被告が加害車両を保有し、本件事故当時運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。そうすると、被告には自賠法三条による賠償義務がある。

三  原告の傷害

成立に争いのない甲第一ないし第五三、第六七、第六八号証、第七〇号証の一ないし一六六、乙第一ないし第三〇、第三二、第三四ないし第三六号証、原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)及びこれによつて真正に成立したと認める甲第五四ないし第六三号証、証人岡本和夫の証言、弁論の全趣旨及びこれによつて真正に成立したと認める乙第三三号証によれば、原告は昭和五八年一月ころ、肩から腕にかけて鈍い痛みを感じるようになつたため、同年二月一五日に倉敷中央病院で診察を受けたところ、頸椎骨軟骨症との診断を受けたこと、その際に撮影されたエツクス線写真によると、正常な頸椎は前方に湾曲しているのに、原告については一部の頸椎の椎間が狭くなつて右の湾曲が消失しており、頸椎の一部に余分な骨が形成(骨棘形成)されていたこと、頸椎骨軟骨症は個人差はあるものの、年を取るにしたがつてその症状が出現するものであること、原告は右初診日から数回通院して、頸椎垂直牽引、水治療、投薬、注射などの治療を受けた後、同年三月一五日に入院し同年四月二六日に退院するまでの間、同様の治療を受けたこと、右退院後もほとんど毎日通院して右と同様の治療を受けていたこと、右入院期間中の原告の症状は頸、肩、腕の痛み、しびれであつたが、右治療によつて、症状は少しずつ軽くなつてきていたこと、原告は右入院後から本件事故当日まで勤務先には出勤していなかつたこと、本件事故の前後を通じて原告のジヤクソン、スパーリングテストはいずれも陽性であつたこと、本件事故当時、事故現場の道路が渋滞していたため被告車は徐行していたが、当時その付近で別の衝突事故の現場検証が行われており、その方向へ脇見して運転したために、その前を走行していた原告車が停止したのに気づかず、そのまま追突したこと、本件事故の際、原告車には助手席に訴外高橋弘忍(大正元年一一月一二日生)、後部座席には訴外高橋稲美子(大正六年四月一二日生)、訴外田尻克子(昭和一二年一〇月三〇日生)、訴外原早苗(昭和六年一〇月一四日生)がそれぞれ同乗していたこと、原告は本件事故の直前に、被告車が追突してくるのを車中のバツクミラーで気づき、ブレーキを踏むとともに、ハンドルを両手で強く押して身構えたが、他の同乗者は本件事故が発生するまでこのことに全く気づかなかつたこと、本件事故により、訴外高橋弘忍は外傷性頸部症候群の病名で昭和五八年六月一六日から同年七月四日まで通院(実通院日数三日)し、同年八月一〇日に治癒したこと、訴外高橋稲美子は外傷性頸部症候群の病名で同年六月一二日から同年七月六日まで通院(実通院日数四日)し、同年八月一〇日治癒見込となつたこと、訴外田尻克子は頸椎捻挫の病名で同年六月一三日から同月一五日までの安静加療を要したが、通院は一日だけであつたこと、訴外原早苗は医師の治療を受けておらず、治療を要するほどの症状はなかつたこと、原告は本件事故直後から頭痛、吐き気が生じたので、その当日倉敷中央病院でエツクス線検査を受け、薬をもらつて帰宅し、その翌日の同月一三日にも通院して同様の検査を受け、薬をもらつたこと、同月一四日は自宅で安静にしていたが、頭痛、吐き気が続くので、同月一五日に入院したこと、原告は、入院後から頸部の全方向の運動制限、肩、上肢に痛み、しびれを訴えており、このため入院当日から四日間は頸部捻挫の治療のため、首の両脇を砂のうで固定する治療をし、それ以後は、本件事故前における頸椎骨軟骨症に対する前記治療とほぼ同様の治療を続けたこと、原告が本件事故後、退院する数日前の同年九月六日ころには、頸部の運動制限はかなり改善されたこと、同月一〇日の退院時における原告の症状は、左上肢のしびれと肩こりであつたこと、原告は右退院後も上肢、頸部、肩部の痛みを訴え、頸椎垂直牽引、水治療などの治療を受けたこと、その後、原告の治療にあたつていた医師が昭和五九年五月九日付で後遺障害診断書(甲第一四号証)を作成したが、同診断書には傷病名として「頸椎骨軟骨症、頸部捻挫」、主訴又は自覚症状として「頭痛、項部痛、両肩、両上腕部痛、手指シビレ」、事故との関連及び予後の所見として「五十肩(左)、胸郭出口症候群の症状、所見認めるが、事故との因果関係不明」、症状固定日として「昭和五九年五月九日」とそれぞれ記載されていること、さらにその後、原告の主訴をも加えた昭和五九年一〇月三一日付後遺障害診断書(甲第一五号証)が作成されているが、その記載内容に実質的な変更はないこと、原告は頸椎骨軟骨症で入院する昭和五八年三月当時は機械の修理等の現場作業に従事していたこと、原告の治療にあたつていた医師は、原告が本件事故後入院中の昭和五八年七月一日付で診断書を作成しており、同診断書中には、六月一三日には就業可能見込であつた旨記載されているが、右記載部分は原告が右のように記載してくれるよう同医師に要望したため、同医師としては、原告が事務的職業に従事していると考えて、就業見込と記載したことの各事実が認められ、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告は本件事故前に頸椎骨軟骨症で入院後、通院中に本件事故にあつたものであり、その症状は本件事故までに徐々に軽くなつてはいたが、元来頸椎骨軟骨症は年を取るにしたがつて多少とも出現してくるものであつて、原告が当時五四歳であつたことに加え、本件事故の約一か月半前まで約四〇日間右治療のため入院しており、右退院後も本件事故に至るまでほぼ毎日通院して治療を受けていたことからすると、なおその症状のかなりの部分は残存していたものといわざるを得ない。また、本件事故後に原告に新たに生じた従来の頸椎骨軟骨症の症状と異なる症状の主なものは、頸部捻挫に基づく頸部の運動制限であるが、この頸部捻挫を対象とする新たな治療は、入院当日から四日間行われた首の両脇を砂のうで固定する治療が主なものであり、それ以後の入院中は、本件事故前に行われていた頸椎骨軟骨症に対する治療とほぼ同様の治療が行われた結果、入院中の昭和五八年九月六日には頸部の運動制限はかなり改善され、その四日後の同月一〇日には退院し、その後通院して治療を受けているが、右通院中の治療も前記頸椎骨軟骨症に対する治療とほぼ同様であるうえ、その間の症状も上肢、頸部、肩部の痛み、しびれであつて、これらは頸椎骨軟骨症の症状と異なるものではない。また右認定事実によれば、本件事故の態様は、被告車が渋滞で徐行中に原告車に追突したもので、原告車にはそれほど強い衝撃が加わつたものとは解されない。さらに、原告は追突される直前に被告車に気づき、ブレーキを踏み、ハンドルを両手で強く押して身構えているのであるが、原告車の四名の同乗者はいずれも不意の出来事で原告のように予め身構えることはできなかつたのであるから、原告に比べて同乗者の方がその頸部により大きな衝撃を受けたと解するのが合理的である。しかも、原告は本件事故当時五四歳であるのに対し、原告車の同乗者のうち、訴外高橋弘忍は事故当時七〇歳、訴外高橋稲美子は六六歳とかなりの高齢であるにもかかわらず、いずれも実通院日数は三、四日程度であつて、事故後二か月足らずで治癒あるいは治癒見込となつており、訴外田尻克子については一日通院しただけで、その後は三、四日程度の安静加療で治癒し、訴外原早苗についてはとくに医師の診察を受けるまでもなかつたのである。

右に検討した本件事故前における原告の病状とその治療経過及び本件事故後の症状とその治療経過に、本件事故の態様、事故直前の原告やその同乗者の動作、右同乗者の年齢、受傷程度を合せ考慮すると、本件事故の衝撃によつて原告には頸椎捻挫が生じるとともに、事故前の頸椎骨軟骨症にもある程度の増悪が生じたことは認められるものの、右頸椎捻挫及び頸椎骨軟骨症の増悪部分は昭和五八年一〇月末までには治癒したと解するのが相当である。そうすると、右時点以後の症状は本件事故と相当因果関係がなく、したがつて本件事故に基づく後遺症も認められないというべきである。また、前記後遺障害診断書(甲第一四、第一五号証)に記載してある症状固定日(昭和五九年五月九日)は、本件事故前の頸椎骨軟骨症に関するものであつて、本件事故に基づく症状とは関連性がないと解するのが相当である。

四  損害

1  治療費 六五万八六〇二円

前記三(原告の傷害)のとおり、本件事故と相当因果関係のある治療期間は、昭和五八年六月一二日から同年一〇月三一日までであるところ、前記甲第一六ないし第二〇、第六八号証によれば、その間に支出された治療費は合計九四万八六〇円であることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そして前記三で判示したところによれば、右治療費のうち本件事故によつて新たに生じた頸椎捻挫及び頸椎骨軟骨症の増悪部分に対応する部分は、右合計額の七割にあたる六五万八六〇二円とみるべきであり、これが本件事故と相当因果関係のある治療費と解するのが相当である。

2  入院付添費 二二万円

原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨に前記三で判示した原告の傷害の程度を合せ考慮すれば、原告が本件事故で入院した八八日間に原告の妻である訴外田尻克子が付添看護をしたこと、その間の原告の症状からすると付添看護を要したことが認められ、これに前記三で判示した本件事故前における症状と本件事故後の症状とを総合すると二二万円(一日あたり二五〇〇円)が本件事故と相当因果関係のある入院付添費と解すべきである。

3  入院雑費 六万一六〇〇円

前記のとおり、入院期間は八八日間であり、原告の本件事故前における症状と本件事故後の症状とを総合すると、入院雑費としては六万一六〇〇円(一日あたり七〇〇円)が相当である。

4  通院交通費 一万四六一六円

前記のとおり、本件事故と相当因果関係のある治療期間は昭和五八年六月一二日から同年一〇月三一日までであるところ、原告本人尋問の結果、前記甲第五四号証によれば、右期間中に支出された通院交通費の合計額は二万八八〇円であるが、前記三で判示した本件事故前における症状と本件事故後の症状とを総合すると、右金額の七割にあたる一万四六一六円が本件事故と相当因果関係のある通院交通費とみるべきである。

5  休業損害 五二万九三一四円

原告本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したと認める甲第六四、第六五、第六九号証、弁論の全趣旨によれば、原告が本件事故前に入院して休業する以前の昭和五七年一〇月から一二月までの三か月間における給与の合計額は五一万三六五二円であり、その間の一か月の平均額は一七万一二一七円であること、原告は本件事故前に昭和五八年六月一三日から出勤する予定であつたこと、原告は従来の勤務先との間で、昭和五八年九月一日から嘱託として勤務し、その間の給与を一か月一五万五五〇〇円とする旨の労働契約を締結していたことの各事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実に、前記のとおり本件事故と相当因果関係のある治療期間は昭和五八年一〇月三一日までであることを総合すると、原告は昭和五八年六月一三日から同年八月三一日までの間(二・六か月間)は四四万五一六四円、同年九月一日から同年一〇月三一日までの間(二か月間)は嘱託として三一万一〇〇〇円の給与を取得することができたと解されるが、前記三で判示した本件事故前の症状と本件事故後の症状とを合せ考慮すると、右期間の合計額七五万六一六四円の七割にあたる五二万九三一四円をもつて、本件事故と相当因果関係のある損害とみるべきである。

6  後遺症による逸失利益

前記三で判示したとおり、原告には本件事故と相当因果関係のある後遺症は認められないから、この点に関する原告の主張は理由がない。

7  慰藉料 一〇〇万円

前記三で判示した本件事故と相当因果関係のある傷害の程度、内容、入通院期間等本件における諸事情を考慮すると、慰藉料は一〇〇万円が相当である。

五  原告が本件事故につき訴外安田火災海上保険株式会社(任意保険)から二〇六万二五三四円、自賠責保険から七五万円の合計二八一万二五三四円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。

そうすると、前記四(損害)で認めた本件事故による原告の損害額は二四八万四一三二円であるから、被告主張のその余の支払につき判断するまでもなく、原告の損害は全部填補されているというべきである。

六  よつて、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安原清蔵)

別紙 〈省略〉

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